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娯楽区
言うなればここは『楽しい街』でしょうか。
娯楽区はその名の通り娯楽に溢れた区画で、歓楽街というよりは繁華街のようで、
居住区に住んでいる人達が、休日などにふらりと遊びに来るための場所のようです。
デパートや宝飾店のようなショッピング向けの施設から、ゲームセンターなどの遊戯施設、しまいにはカジノまでありました。
旅人である私には、カジノも宝飾店も縁がないのが残念でしたけれど、アーケード内に常設バザールが集まって出来たデパートは、安定した品揃えでとても助かります。
デパートは掘り出し物を捜すのには向きませんし、特別に質のよい品があるわけでもないのですけれど、店が秩序立って並んでいて、同じ品を供給してくれるという事が、この居住区では貴重でした。
普通のバザールは、雑然としているせいで必要な品物を探すのが大変ですからね。
もちろん、普通のバザールも点在していましたから、住民の方は必要に応じて使い分けているようです。あちこちから、景気の良い声が聞こえてきます。
私のような観光客よりも地元からの客が多いのでしょう、外食産業も幅広く、大衆食堂やレストラン、居酒屋からファーストフードまで、本当に色々あります。
他の区画にも外食屋はいくらかありましたけれど、ここまで多種多様な店があるのは驚きでした。
あまりにも多すぎて、どこで昼食を食べるか、迷ってしまうくらいに。
結局、昼はファーストフード店にしました。
宰相府藩国に来てからは豪華な店に行く事が多く、ファーストフードとは縁のない生活が続いていましたから、たまには食べてみたいと思ったのです。
ファミリーレストランとファーストフード店、どちらにするかは最後まで迷いました。
ジャンクフードもたまにはいいな、と思わせてくれる味でした。素材がいいのかもしれませんね。
道を歩きながら町並みを眺めていると、少しずつこの区画の色が見えてきます。
3、4人連れ立ってはしゃいでいる、年若い子たち。腕を組んで幸せそうに歩いている、恋人らしき男女。
ここは、本当に娯楽の街なんですね。誰も彼もが、楽しい気持ちになる。そんな場所。
それでも、同じ娯楽の街であるところのハイマイル区画と印象が全然違うのは、多分、どの店もが住民たちとより近しい存在だからなのでしょう。
外れにあるバザールで偶然覗いてみた食器店の店番が、売り物らしき食器を楽しそうに磨いているのを見て、そう思いました。
ここは、誰も彼もが楽しい気持ちでいられるような、そんな街なんだ、と。
その店員の姿がどうにも微笑ましかったので、私はその食器店で、ナイフとフォークを買うことにしました。
そこの品揃えはとても素晴らしく、本当は皿やティーカップなども買いたかったのですが、旅暮らしに陶器は持ち歩けません。
私は、自分が旅人であることを少しだけ残念に思いました。
そんな私を見て何を思ったか、会計の際に店員が、オマケの品を付けてくれました。
私の買ったナイフとフォークと同じ意匠の、スプーンです。元々、3つ合わせて1セットだったのでしょう。並べると、とても見栄えがしました。
お礼を言うと、店員はにこやかに笑って、お買い上げありがとうございます、と言ってくれました。
そうそう。後でスプーンの包装を解いた時に気付いた事なのですが、いつの間にかナイフセットの中に、小さな紙切れが混ざっていました。
『ac』の文字です。一体どういう意味なのでしょう?
そろそろ日も暮れようという時分、娯楽区を一通り巡り終わった私は、芸術区との境にある劇場の前に来ていました。
街中で偶然見かけたミュージカルのポスターが非常に印象的で、強く心惹かれたからです。
スケジュールを見ると、今日の講演予定は残り後1回。その1回も、もうすぐ開演の時間です。
明日は別の区画を回ることにしているので、出来るなら早く寝ておかなければなりません。
劇は前後編合わせて4時間。宿泊予定地まではバスで10分ほどですから、ミュージカルが終わってから帰ると、もう深夜です。
私は、今日はよく迷う日だなと思いながら、時計としばし睨めっこをしました。
どうにも決めかねている間にも、時間は過ぎていきます。劇を見るなら、そろそろ入場しなければいけません。
そんな私を後押ししたのは、街中で見かけたのと同じ、1枚のポスターでした。
月を背景に、宙を駆ける人の絵。その人物の笑顔がこの街の人々の笑顔とダブって見えたのが、この劇場に引き寄せられたきっかけでした。
そして、そのポスターにはこんな一文がありました。
『誰も知らない。でも貴方は知っている―――さあ、この楽しい街へ!!』
それを見て私は、つい、笑顔になってしまいます。
さすがは娯楽区。こんな何気ないところでも、心弾ませてくれるようです。
私は時計を鞄にしまうと、劇のチケットを買いました。
明日は少し、寝坊してしまうかもしれません。でも、それでいい気がします。
娯楽区は楽しい街です。訪れる人を、楽しい気持ちにしてくれる街です。
そこに遊びに来る人も、そこに勤めている人も、私のような旅人も、みんな。
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