少し早めの夕食をすませたソーニャとエミリオは、香水塔の傍に設けられた白いテーブルに着いていた。
紅茶を楽しみながら、今日一日で見学した迎賓館の印象深い所を語り合っている。
特に調度品や絵画については、造詣の深いエミリオからその逸話や、作者の生い立ちなどを聞いて感心している。
「そうなんだー。なんか芸術家って報われない人が多いね」
「そうだね。画家や音楽家は死後に評価される事が多いのは事実だね。科学者なんかもそうだけどね」
そこへ鐘音がポットをトレイに乗せてやって来る。
「お茶のお代わりはいかがですか?」
二人の仲睦まじい様子に微笑みながら、尋ねる。
「あ、ありがとうございます。お代わりお願いします」
ようやく視線をエミリオから外してソーニャがお代わりを頼む。
「じゃあ、僕もお願いします」
ソーニャの視線を平然と受け止めていたエミリオもお代わりを頼んだ。
「はい」
短く返事をして、ポットの紅茶を空になったティーカップに注ぐ。
紅い色がティーカップの白色を染め上げていく。
「ところで、何を話されていたんですか?」
紅茶のお代わりを入れ終わったところで問いかける。
「ああ、エミリオに芸術について教わっていたんです。こう、不遇な方多いねって」
ソーニャが暖かい紅茶を一口味わってから答える。
「なるほど、確かに芸術家には不遇な方が多いですね」
そこで、鐘音は軽く顔を上げて傍にある香水塔をちらりと見る。
「そういえば、この香水塔にもある芸術家の逸話があるんですよ。良かったらお話しましょうか?」
二人の仲を邪魔しちゃうかなと、少し遠慮しつつ聞いてみる。
「あ、興味あります。ぜひ、お願いします」
ソーニャが目を大きくして、好奇心全開で答えた。
「僕も聞きたいな。この香水塔には興味あったんだ」
エミリオも続く。
「では…」
ゆっくりと鐘音が香水塔にまつわる、ある芸術家の男の逸話を話し始める。
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その昔…
宰相府藩国が設立されると共に、この迎賓館も建てられていました。
他国の使節、王族を招く施設のため、莫大な予算を掛けて多くの建築家や芸術家が雇われました。
惜しげもなく掛けた費用のお陰か宰相府の設立と同時に迎賓館は完成しました。
ただ一箇所を除いて…
”香水塔”
この設備は迎賓館の誕生から遅れる事十一年の歳月を経て完成しました。
当時、唯一完成が間に合わなかったこの設備に、多くの人が作成に携わっていた芸術家を批判し、非難しました。
ですが香水塔が完成した時、その非難は全く無くなりました。
香水塔は噴水の水を香水に置き換えたもので、非常に豪華な設備です。
そして、この香水塔には独自の仕掛けも施されています。
・時刻により自動的に流れている香水が切り替わる。
・夜になると自動的に光が照らされる機能。材質が特殊な水晶の為、七色の光に包まれる。
・内部にはオルゴールが仕掛けられており、一定の時刻毎に違う音色を奏でる。
・さらに、機械仕掛けの人形が内部より出て、曲に合わせてある劇を演じる。
・この劇は一日を通してストーリーが演じられる。
完成した時、その出来映えは多くの人の心を掴んで離さなかったと言います。
この香水塔の担当を任されたのは名も無い芸術家でした。
当時、あまりの慌しさに、さる高名な芸術家と名前が似ていた為、間違えられて依頼を出されていたのです。
最初はこの名も無い芸術家に、違約金を支払って断わろうとしたのですが、高名な芸術家は別の宰相府藩国設立の仕事を請け負っていたために、
やむえずそのまま依頼されました。
簡単に試験した所、たいそう腕が良かったのです。
これなら迎賓館の設備として恥ずかしいものにはならないだろう。
そう判断され、名も無い芸術家へ正式に依頼されました。
彼は早速仕事に取り掛かりました。
この仕事のお陰で借金も全て支払うことができ、しかも材料などは糸目をつけずに高価なものを使う事が許されています。
芸術家として作品制作に没頭出来るのはこれが初めてでした。
彼はこれを機に名を上げて芸術家として成功したいと考えていました。
納期は幾分短かったのですが、彼はチャンスが無いだけで自分の腕には自信がありました。
寝食を削って彼は仕事に勤しみました。
そのため、驚く程のスピードで香水塔は作り上げられていきます。
しかし、その姿は現在のものとは形が違います。
なぜでしょうか?
実はこの時に作られていた香水塔は、彼自身の手によって破壊されたのです。
彼は自分の為に全てを注いで制作に没頭していました。
ある時、彼の制作を邪魔する存在が現れました。
制作を行っていた部屋の扉が僅かに開いていました。そこから入って来たのでしょう。
暗闇を眼に宿し、一切の感情の無い髪の長い少女がいつの間にか背後に立っていました。
何をするのでもなく、ただじっとある一点を見つめています。
そこには、彼が香水塔の制作の為に、資料として使っていた絵本が床に転がっていました。
時間が深夜だった事もあり、彼は気味悪くなって、大声で彼女を追い払おうとします。
しかし、彼女はまるで聴こえていないかの様に立ち尽くしています。
彼は仕方なく近づいて部屋の外へ無理矢理追い出そうとしました。
ガツン
暗がりに立つ少女に意識が行き過ぎていたのでしょう。
彼は絵本を蹴り飛ばしてしまいます。
その途端、驚くほどの絶叫が少女から発せられました。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
彼は驚きたじろぎます。
彼女はしゃがみ込み、嗚咽を繰り返しながらぶるぶると震えています。
彼はどうしていいのか分からず、オロオロとするばかりです。
しばらくして、少女の絶叫が届いたのか、それとも深夜に居なくなった少女を探していたのか、彼女の保護者という人が現れます。
そして、しきりに彼に謝りながら、彼女を引き取っていきました。
彼は部屋に取り残されました。
そして、さっき蹴り飛ばしてしまった絵本を拾い上げ、しげしげと見つめます。
それは特筆するところの無い、無名の絵本でした。
イラストに描かれていた王子とお姫様を、香水塔に施す彫刻の参考にする為に買った普通の絵本です。
内容は竜が攫ったお姫様を婚約者の王子が、森の魔女の難題を解き明かし、魔法の剣を手に竜を退治して、お姫様と結婚しました。
めでたし、めでたし。
という、なんの捻りも無い普通すぎる絵本です。
彼は起こった事を思い返し、一体何がどうなっているんだろうと考えましたが、結局何も分からなかったのでその日は休む事にしました。