春の神話

春の壁画

 それは奪い奪われ、壊し壊される、人心の荒廃した時代の話。
 個々に授けられた知識という名の知恵の種は、全に生かされる事はありませんでした。
 それ故、人々は纏まる事を知らず、それぞれがばらばらに生きていました。

 戦う術を知るものがいました。山賊です。
 彼はその知識により、日々、獲物を巡って奪い合いを繰り広げました。
 彼は自らの知識を勝ち誇り、その日々に疑問を抱くことはありませんでした。

 獣を狩る術を知るものがいました。狩人です。
 彼はその知識により、日々、獣を狩るも、それを他者に奪われてばかりいました。
 彼は狩る事しか知らない自分を嘆き、そして奪われるしかない生活に嘆いていました。

 そんなある日、山賊は奪い合いの最中、ふとした拍子に霧深い森に迷い込んでしまいました。
 同じ日、狩人も獣を追って、その霧深い森に迷い込んでいました。
 しかし、それぞれ歩けども歩けども、森を抜ける事はできずに日は暮れていき、腹は減るばかりです。
 山賊は奪える獲物を担いだ人間も居らず、獣も狩れず、空腹の中で考えました。
 彼は何故奪うしか出来ないのかを。
 狩人は獣を狩って、奪われる心配もなくそれを平らげ、満腹の中で考えました。
 彼は何故奪われるしかないのかを。

 翌日、山賊は狩人の朝餉の匂いに誘われて、空腹で朦朧とする意識の中、ふらふらと狩人の前に現れました。
 獲物を奪おうとすぐさま思いましたが、体が飢えのために上手く動かせません。
 一方、狩人は現れた山賊に驚き、山賊が奪おうとするまでも無く、獲物を差し出しました。
 山賊は、驚きの余りに獲物を受け取れずに狩人に問いました。お前は争わないのかと。
 狩人は、奪われない事に疑問を覚えながら答えました。私は戦う術を知らないのだと。

 山賊は哀れんで言いました。ならば俺がお前を守ってやろうと。
 狩人は喜んで言いました。ならば私は獲物を分けてあげようと。

 そして彼らは互いに思ったのです。この者は自分に足りないものを教えてくれると。

 かくて知識は共有され、知恵が芽生えました。

 二人が出会って数年の月日が流れました。
 長い月日をかけて、狩人は戦う術を覚え、山賊は獣を狩る術を覚えました。

 そんなある日、二人が狩りをし、獲物にありついていると、茂みの中からが音がしました。
 不審に思い、山賊が茂みを調べると、なんとそこから一人の旅人が転がり出てきました。
 旅人はやせ細り、飢えていました。
 狩人は旅人を哀れに思い、どうせあまるのだと、獲物を分けてあげました。

 腹いっぱい獲物を食べた旅人が、まだ残っている獲物を見て口を開きました。
 これは取っておかないのかと。
 山賊が答えました。取っておいても腐るから捨てるのだと。
 旅人は言いました。私は獲物を保存する術を見たことがある。
 私には上手くできなかったが、お礼に教えてあげようと。
 狩人は其れを聞き、その知識の素晴らしさに感激しました。

 その夜、旅人は今まで自分が旅をして見てきたことを二人に語りました。
 旅人は不器用でしたが、世界を見て、物を考える術を知っていました。
 旅人の話は知らないことばかりで、山賊と狩人は目を輝かせて聞き入いったのでした。

 まだ見ぬ世界に夢を抱いた山賊と狩人は、次の朝旅人と共に旅に出ることにしました。
 奪われる事もなく、奪う必要もなく、知る喜びを得た世界はとても綺麗に見えました。

 かくて知恵は、芽から木となりました。
 三人の行く先々で、人々は知恵を求めて集まり、互いに知識を与え、
 やがて知恵は英知と言う名の大木へと成長していきました。
 そして、その英知の大樹とそれに寄り添う最初の三人の元、
 人々は国を作り、初めての平穏を得る事になるのでした。

テーマ解説

 狩人は奪うことを知らず、山賊は獲物を得ることを知らない。
 そして、旅人は生きる術を知らなかった。
 狩人と山賊、旅人の出会い。
 その物語が示すものは、建国。その最初。
 獲る術を知る狩人が、奪われない術を知る山賊と出会い、旅を知る者の手引きで外へと歩き出すまでの話。

 狩人は獲物を獲る術を知っていた。
 それと引き替えに他の全てを知らずにいた。
 他の全てを知らぬ狩人。
 けれど、狩りには秀でていた。
 優れた高き知性を英知という。
 狩人は狩りの英知で自らを生かし。そしてそれ故に奪われ、嘆いていた。

 山賊もまた奪う英知を持ち、それ故に獲物を狩る術も知らなかった。
 狩人も山賊も、それぞれに優れた知性を持っていた。

 狩人は獲物を与える代わりに守って貰うことを覚えた。
 獲物を誰かに与えることで、自分が嘆かずにすむと言うことを知った。
 与えることで、自分が救われることがあることを知った。

 あるとき旅人があらわれる。
 狩人は与えることを知っていたので、食べ物を恵んだ。
 もし、狩人が山賊に出会わなければ、狩人は与えることを知らなかった。
 与える獲物も手元になかったことだろう。
 旅人は、狩人たちの英知によって救われた。
 狩人は嘆かず、山賊は奪わず、旅人は見捨てられはしなかった。

 壁画は教える。
 正しき知識の育み――英知は、人を善き行いへと導き、人を豊かにへと変えていくのだと。
 狩人は旅に出た。
 山の湧き水が渓流となり、さらには大河へと姿を変える。
 その時が来るまで。
 旅人の先導と、山賊の守りのもとで。
 3人の英知の交わりこそが、人を豊かで善きものにするのだと示すかのように。

神話にまつわるあれこれ

登場人物の年齢に関して

 春の壁画の神話は、2人の登場人物からはじまります。
 奪うことしか知らない山賊、そして狩ることしか知らない狩人。
 この2人の年齢について、考えてみましょう。

 子供むけの絵本などでこの神話をとりあげる際には、2人はどちらも少年として描かれることが多いようです。
 読者に年齢を合わせてあるのでしょうか。
 いいえ、それは違います。
 大人用の資料でも、この2人を少年として描くものは数多くあります。
 これは、知り合ったばかりの彼らがそれぞれ、戦うことしか知らない、狩ることしか知らない、幼い状態だという意味があるのです。

 一方、狩人は少年のまま、山賊を大人として描いた資料も少なくありません。
 こちらは、知り合ったばかりの彼らではなく、彼らが助け合うようになった後の関係を意味しています。
 狩人は、毎日好きに獲物を追い回すという図から子供や少年を連想します。

 また山賊は、他の山賊から狩人を守るという図から、大人を連想するのです。

 2人が出会った時期を描こうとするのか、互いの知識を共有し、協力しあうようになってからの2人の生活を描こうとするかで年齢の解釈が変わってきているのです。

 さらに、旅人はというと山賊と狩人の年齢に関わらず、老人、または年齢不詳の存在として描かれます。
 旅人は、戦うことも狩ることもできませんが、旅による知識を持っている存在です。
 この知識を示すための描き方なのでしょう。

【画:少年狩人】
【画:おっさん山賊】
【画:旅人】

神話の異聞

 春の壁画に描かれた神話は、狩人・山賊・旅人という三つの異なる立場の者たちが相互に手を取り合い、協力し合うまでの道筋を描いた物語です。そのため、この三人の中の誰を話の中心に据えるかによって、物語の筋書き自体は同じながら、お話としてはやや異なった展開を見せていくことになります。
 壁画に採用されている物語は、生活の糧を採る能力を持ちながら、暴力には抗う方法のない立場にある狩人を中心とし、一般的に弱いと思われているものが、他者と行動を共にすることで持っている性質を変えていく姿が描かれています。
 しかし山賊の立場に変えて語られる神話では、終始山賊が「圧倒的な強さを持つ者」として描かれ、孤独さが強調されています。また、狩人の出会い以降からは力を振うことを狩人に何度も諫められる場面が繰り返されることになります。このことは強大な力を持つ者が次第に自分の欲の為だけではなく、信頼する者たちの為に力を使うようになっていくという一面が強調されているものといえるでしょう。

 これら二つに対して、旅人を中心としたものは話の前半分がほぼ存在していません。
 まず旅人は、争いの絶えない世界を嫌って旅を初めた、とされています。物語の前半では旅をしていく間に様々な道具や知識を得ていく場面があり、新しい情報を与える者、としての一面を強調されています。また、このくだりは最終的に旅人が狩人と山賊に助けられる場面で、他者との相互理解こそがもっとも尊いものであることを示す役割をも担っているといえるでしょう。

 どれも最終的に神話として描かれているものは「人々が手を取り合って生きていく」事の尊さであるといえます。その中で神話として狩人が主人公のものが一般的であることは、それが民衆にとって一番共感を得るものであるということと無関係ではないでしょう。

【画:三人】

北欧神話との対比

 春の園にある壁画に描かれた神話は、狩人・山賊・旅人という立場や能力の違うものが共に手を取り協力するまでを描いたものです。
 この、「共に手を取り協力する」と言う部分は、他の神話では余り見られません。
有名な北欧神話をとっても、アース神族・ヴァン神族といったように立場を別とする大きな区切りがあり、何度も熾烈な戦争を繰り広げます。
 この戦争は最終的にアース神族が勝利し、ヴァン神族は見方は色々ありますが、一般的には属国のようになります。

 しかし。
 戦闘に勝利し、力を誇示したアース神族を山賊。敗北し、様々なものを奪われたヴァン神族を狩人。
 このように見て見ましょう。
 北欧神話では、アース神族はヴァン神族より数人を向かえ、交流を始めます。
 壁画の神話で言う、山賊と狩人の協力を交流を始めた状態に相当するとは思えませんか?
 また、アース神族とヴァン神族は様々なものを交換します。これも、山賊と狩人の知識の共有に相当するとできます。

 では、旅人はどうでしょう。
 ここで、北欧神話を語る上で必須の「ラグナロク」(神々の黄昏)を旅人としてみます。
 壁画では、旅人の訪れと共に山賊と狩人は旅に出ます。
 北欧神話でのラグナロクは、全ての神々が死滅し、世界も崩壊します。
 その後、一部の神々が復活し(生き残っていた、などの諸説はあります)、新しい世界を作っていきます。
 その世界では、森の中で生き延びた一組の人間の男女の子孫が地上を満たしました。
 ただ、復活した神々にヴァン神族の名前はありません。

 でも、こうも考えられます。復活した後は、種族の垣根など気にしなかったと。
 アースでもヴァンでも無い一つの神族として、共に歩み、人の行く末を見守ったのではないかと。
 一つとなった神々が争いなく見守る中、人間は子孫を増やし、集まり、知恵をつけ、繁栄した のではないかと。

 この壁画では、立場も能力も違うものが共存する様を描き上げています。
 殆どの神話では、その性質上「争い」が全面に出ていますが、以上の比較をみると、この壁画のような解釈も出来るのではないでしょうか。

【画:共に歩む】

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