世界最高の庭園群へようこそ!
宰相府庭園をもっと楽しみたい!という方たちのために壁画に関するちょっとした話を集めてみました。
このお話を知っていると、各園に設置されている壁画をより深く楽しむことができるでしょう。
これを読むことによって、また違った視点で宰相府庭園をお楽しみいただける事を願っています。
壁画の見方
壁画は、園ごとに当てられた神話をモチーフにして園全体に描かれていますが、景観を損なわないようにする為に、幾つかのトリックで決まった場所以外では見え辛いようになっています。
我々は観光の妨げにならぬよう、園を回るときに参考にするパンフレットでの紹介順を、壁画を見る順番に沿うようにしました。
例えば、春の園をガイドに沿って蓮華の園、桜の園、梅の園の順にめぐると、各々を繋ぐ橋から、神話の流れに沿った順番で壁画を見る事が出来るように調整されています。
また一部には、特定の時間や、高い所からでしか見えないなど、見るのに条件が必要なものがあります。
それらは主に神話の本筋には関係ないものが多いのですが、見つける事によってより深く神話を理解できるでしょう。
よく知られているものには、冬の園の氷結森に、夜更けのある特定の時間に訪れたときのみ見える、空に映し出される動物たちの横顔があります。予想がつかないような場所にあることも多いので、運良く見えたときには、遥か昔の物語に思いを馳せて見るのは如何でしょうか。
壁絵と魔術の関係
3つの園に描かれた各々の神話は、それぞれが大きな魔術の概念の柱となっています。壁に描かれた3つの物語に人が触れることで、神々(=リューン)が活性化し、一つの大きな“流れ”となって世界に湧き上がります。
この“流れ”は、地上の湖に繋がるようになっており、正しい星の並びの日には、流れ込んだ“流れ”に呼応して湖がうっすらと輝く事があると言われています。
そしてこの砂漠に似合わぬ湖が、壁画と神話によって目覚めた輝きに呼応して、大いなる魔術を行う場を生み出すのです。
一説によれば、時をも越えるゲートすら開くとも。
過去から、今へ。今から、未来へ。あなたが園を抜けて地上へ戻るとき、帝国が今に至るまで受け継いできた過去(神話)を知ったならば、その意味を受け止めて歩み出す事が出来るでしょう。
願わくはこの壁画を心に刻む全てのものに、正義を体現する心が宿らん事を。
壁画の由来
壁画が示すもの
夏の世界の地下にある、春秋冬3つの庭園。そこの大壁面に描かれているのは一続きの神話絵巻です。
実際の壁画をごらんになられるまでになぜ作られたのか、またなぜ神話が描かれることになったのか、そしてどうやって作られたかのお話を簡単にさせて頂きます。
壁画が作られる数ヶ月前まで、ニューワールドに存在する帝国領は相次ぐ戦乱の中でした。
弱きを助け、向かい来る侵略者を退ける。そんな戦いの日々。
そうして数ヶ月間の戦乱を潜り抜け、帝國はひと時の平安を得ました。
戦闘に多くの時間を割かれていたもの達の、歓喜はひとしおです。
この短いながらも我らの力で得た平和を楽しもう!
人々は平和を謳歌すべく、実際に行動を起こしていきました。
恋人との語らい。
世界各地での旅行。
家の建築や道具の発明。
そして宰相府藩国の建設。
様々な平和の過ごし方が行われる中、ある動きが起こりました。
広大な庭園隔壁を一つの絵巻物語にして平和を慈しみ、芸術で安らぎを広めようというのです。
平和が文化を促進させ、文化が平和を維持するという理念を現実化する案でした。
慈愛と英知を尊ぶとされる帝國は即座に支援を開始。
こうして壁画は作られたのです。
そして庭園の隔壁に絵巻物語が描かれ完成しました。
その物語は秋冬春のテーマが描かれた神話です。
普通、自然に絵を楽しむならばモチーフは、その庭園に合った季節の風景画のほうがよいと思われるかもしれません。
ですから壁画を神話にしたことには意味がある、と一部では噂されています。
噂の一つに「神話には神々の魔法の言葉や意思が紡がれている」という話から始まる説があります。
あなたは神話の絵本や小説を読んだとき、なにか特別な雰囲気を感じたことはありませんか?
宰相府はその力を利用して、神話を描くことで庭園を、宰相府を魔術的な結界で囲もうしているというのです。
実際はどうなんでしょうか。
ともあれ、神話は子供にも親しみやすく、広く人々に理解されやすいからという点もあるでしょう。
もうまもなくご覧になられる壁画はとても多くの人々によってつくられました。
技族と呼ばれる絵描き職人たちは物語の彩を飾り、文族と呼ばれる物書き文人たちは物語に躍動を与えました。
族は違えども彼らは筆を振るう仲間であり、その脳内芸術を発揮させる好敵手。互いに力を尽くします。
また忘れてはならないのは、現場で働くワンちゃんこと犬士たちです。
ほとんど現場で働くことができない人々に代わり、宰相府での工事現場は犬士たちが大いに活躍しました。
壁画を近くで見る場合は注意してください。忙しく走り回ったであろう、犬士たちの足跡が残っているかもしれません。
かように、技族も文族も犬士も頑張って働きました。
一人一人の作業がとても小さいと思えるほどの壁の大きさ。
それは苦難といえるものですが、壁画は完成しました。
シーズン1で苦難を共に駆け抜けた仲間の絆が完成を生んだのかもしれません。
お話はここまでです。みなさん、実際の壁画をご覧ください。
人の意思が多く集えばこれほどのこともできる見本といえるでしょう。
壁画の管理と維持
壁画の修復について
壁画はその重要性から維持管理には細心の注意が払われ、最新技術が使用されています。簡単にではありますが、その方法や行うスタッフの解説をします。
まず、三層からなる壁画の構造を説明していきましょう。第一層の壁画は、多くの帝國芸術家たちの手により描かれました。その荘厳さと美しさに皆さんの目は奪われることでしょう。
第二層の強化ガラスは偏光率を可能な限り下げることにより、壁画本来の色合いを損なうことなく神話を楽しめます。また、強化ガラスと壁で壁画部分を挟み込むことで真空に近い状態を作り出し、埃や空気による劣化を防いでいます。
壁画を一望するには距離を置かねばならない為、壁画に近づく人は少ないのですが、念の為に強化ガラスを使用しています。これにより副次効果として、地上の水の巨塔の支えの強化ともなっています。
第三層のニオビアナノシートは厚さがコピー紙の1/10という極薄のシートであり、これを幾重にも強化ガラスに重ねています。このシートには紫外線を当て水を流す事で、表面上に汚れを浮き上がらせる性質があります。これにより洗浄の簡便化がなされています。
次に環境設定についてお話します。神話物語であり魔術装置の一部でもある壁画は、神秘性を出す為に光量を落としています。
光は主に地上から採光しているのですが、西国の太陽光では強すぎる為に偏光ガラスによって強さを弱めています。
このように壁画は高度な技術で護られているとは言え、物理的影響や時の流れには逆らえず破損していきます。そこで宰相府では修復及び清掃の専門家達が派遣され、その任に当たっています。壁画を美しく保つ為には日々の清掃・修復を欠かせません。
強化ガラスの汚れは日常業務として宰相府藩国中央の湖水を壁画に流し、偏光ガラスによって紫外線を集中照射することで大部分の汚れを浮かび上がらせて流し落とします。
この洗浄には魔術的側面もあり、地上=「現在」と魔術的に意味づけられた湖水が、地下の壁画=「過去」にして「建国の志」に戻ることから『帝國は志を忘れない』という意味付けがあるとされています。
また、壁画の修復は随時行われていますが、作業はほぼ人力によって行われています。作業を機械ではなく、人間の手で行う事には理由があります。一つはもちろん美術品に対する人間の知識や感覚・技術を必要とされる作業の為ですが、最大の理由は他にあります。
人間が壁画を守る為に労力を払うこと、つまり『人々が努力し、壁画に描かれた正義を守ること』、それ自体に意味があるからです。
また壁画の周辺や、壁画をよく見ることができる場所などの清掃は、毎朝一般市民のボランティアが行っています。これはたとえ直接壁画を綺麗にすることができなくても、その周辺を清掃すれば見る人の心を安らかにできるだろうという有志の善意によるものです。
こうして壁画は、いつでも最高の状態を保たれています。壁画はただの絵ですが、そこに描かれた内容を守ろうとする人々がいるかぎり、そこには意味が宿るのです。
【画:修復作業1】
【画:修復作業2】
【画:壁画の構造】
神話の由来と関係
四季と神話
世界には、四季、というものがあります。秋と、冬と、春と、夏。
宰相府には四季を現した4つの園があります。この園は、秋、冬、春の過去を巡り、今という夏を経て、水の塔を登り未来へとむかっていく、という意味があります。
3つの季節には、3つの神話。
それぞれの園には、神話を思わせる壁画が描かれています。それは季節と塔を巡った物語が、過去から今へ、そして未来へとつながり、その心と眼差しが守られるようにとの願いが込められて作られたモノです。
では、その内容はどのようなものなのでしょうか?
秋の物語。
人は覚えていました。
いつくしむ心。優しさとよばれる、暖かな日だまりを。
それは穏やかな営みとなって、穏やかに、緩やかに、けれど色あせることのない鮮やかさで、ゆっくりと世界をつつんでいきます。
冬の物語。
人は豊かになりましたが、豊かさをめぐる争いもまた、絶える事はなくなってしまいました。
けれど。黒い闇の中には、白い光がともっていました。
それは心と呼ばれる、だれにでもあるただの思い。ただの一人から始まって、小さな瞬きが徐々に大きな光へと変わっていく、善と正をたずさえた、ただの人々の物語。
春の物語。
人は人と集まり、手と手を携えあうことを始めました。よりよく生きられるように、より豊かに暮らせるように。
それよりも何よりも。そうありたいという、心に惹かれて。
神話のつながり
壁画に描かれたお話は、一つ一つ別の物語です。その意味は神話の由来でも話されました。
ただ。もしもその一つ一つのお話に、つながりがあったとしたら?
ここで話すのは、そういう話です。
始まりは秋。ここでは人のふれあいが穏やかに述べられています。しかし、人と人の間にあるのは優しさだけではありません。ふれあう中には対立するモノも、戦うモノあるでしょう。
そこから生まれた悪が、冬の訪れとなります。そして冷たい冬の間に続く戦いは、やがてはその寒さを吹き払うでしょう。しかし、吹き払われたその後に残ったモノは、そう、多くはありませんでした。
それこそ、残ったのは命くらい。そこから始まるのが春の話。彼らはただの自分たちから始まって、手と手を取って広がっていき、共に立ち上がっていくでしょう。
秋の後には冬があっても、その終わりには春があり、過去は巡り、今を示す夏に到ります。
そう。夏は今。地下にして過去たる秋と冬と春を経て、帝国はここを歩みます。そして、砂漠にあってなお水を成す、水の巨塔を目指していくのです。向かう先にある未来は、明日は、きっといい日だと願いながら。
その想いが重なり合ったとき、一つ一つの輝きは精霊の灯火となって泉から立ち上り、やがては塔を包む光の柱となるでしょう。
それは一つ一つの小さな明かりが照らす、始まりから今へ、そして未来へと続くタペストリィ。かつてかくあり、これよりかくありたいと紡がれた物語です。
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